「ウィットネス(witnesses)」「スペシメン(specimen)」「サンプル(sample)」「ターゲット(target)」「コンサーン(concern)」「リンク(link)」。
いったい何を指す言葉なのか、もし分かる方がおられれば、この分野に少なからず通じておられる方かもしれません。
これらは、波動療法の長い歴史において、被験者の情報を読みとるために用いられてきた、対象を探る「手がかり」、アクセスへの「参照点」を指して用いられてきた語群です。
多くの方から「いまひとつ分からない」と言われるのが、写真や毛髪を使用した遠隔での調整・修正です。
とりわけ写真を用いる方法については、「なかなか腑に落ちない」という声を耳にすることは少なくありません。
本頁では、その問いに対する現段階での考えを共有できたらと思います。
写真による遠隔リーディングの歴史
波動療法における医学文脈上の始祖とされる Albert Abrams の時代から、被験者が直接その場にいなくても、血液サンプルや毛髪を用いて全身状態を診る手法は、伝統的に行われてきました。
その後、比較的早い段階から「本人の写真」が用いられるようになり、現代では写真を使ったリーディングが世界的な主流となっています。
とくに英国系のラジオニクスや農業ラジオニクスの分野では、写真や地図は早い段階から witnessとして使用されてきました。
なかでも、ヒエロニマス(Galen Hieronymus )の「写真を使った害虫駆除」は有名です。この手法については当時の報告書や関連資料も複数残されています。
エイブラムスの後に登場する最重要人物、ルース・ドラウン(Ruth B. Drown)の主張として特に重要なのは、「血液は“その人の波動署名”を持っている」という言葉です。
サンプルは署名をもつ
加えて「写真や血液サンプルを装置に接続すれば、その人物の全情報を世界のどこにいても観察でき、そして治療できる」と言いました。
現在、当方で使用しているMRA型波動測定器は、ドラウンが製作したHVR(ホモ・ヴィブラ・レイ)から派生したものと言われています。
こうした系譜を辿ると、MRAが既に初期段階から遠隔での観察・修正を前提に設計されていたことがうかがえます。
ここで多くの方が抱く疑問は、「毛髪や血液ならまだ分かるが、写真とはどういうことなのか?」という点でしょう。
この点については、「何となくわかる」という人と、「全く理解できない」という人に、はっきり分かれます。ここは理知の違いではなく、感覚の違いです。
幸い、私は前者のタイプだったため、この方法には比較的すんなり馴染むことができました。
あえて機序を説明しようとするのであれば、「ホログラフィー理論」や「観測者の意識の拡大」といった言葉が挙げられるのかもしれません。
ただし、こうした理論は説明の補助にはなっても、実務そのものを支えているわけではありません。
結局のところは
「出来るから、やっている」
これに尽きます。
私がリーディングを始めた頃は、まだ「ポラロイド写真に限る」と言われていました。ところが現代では「デジタル写真でも特に遜色ない」というのが、世界的にみても大方の見解になっているようです。
私自身についていえば、かつてはポラロイド写真にこだわっていました。ところがポラロイド社がカメラとフィルムの生産を一時終了した頃から、徐々にデジタルとの併用を意識するようになりました。
もちろん、対面でのセッション(ハンドプレートに手を置いてもらうスタイル)も同時進行で長らく行なっていました。
これについては、対話の中でフレキシブルに対応できるメリットはあるのですが、時間が限られることと、会話しながらなのでどうしても作業だけに集中することが困難な為、次第に写真メイン、いつしか写真のみにシフトしていきました。
写真なら、その時に反応が弱い場合は少し時間をおいて改めてトライすることもできますし、対象の難しさによっては時に数日かけて攻略していくこともできるからです。
アナログかデジタルか
これらサンプルをどう使い分けるかについて、正解はないと私は考えています。誤解を与えずに表現するのが難しいのですが、重要なことは「オペレーターの意識」であるとつくづく思うからです。
私も当初は「ポラロイドに限る」という考えに囚われていたので、デジタル写真でやるときはどうしても不安がつきまとい、毛髪も併用していました。
デジタル写真については、頭のどこかで「ドットの集まり」「ゼロイチの集合」という観念が抜けきれず、不安要素があったからです。
そんな中、状況を打破したのは、とある先輩の一言でした。
「デジタル写真を見ても、それがその人だって分かるでしょ?デジタル写真でも、そこに釘を打ち込まれたら嫌じゃない?それが答えだよ。」
そのときやっと少し、自分なりに腑に落ちる解釈に触れた気がしました。
ところが、なぜデジタルを克服した今でも写真と毛髪の両方を必要とするのか。
それは「視える層が異なる」からです。
怪我の巧妙とでもいいますか、デジタルに不安があった時代に毛髪と併用するなかで、写真と毛髪とでは、拾われるデータに偏りがあることに気がつきました。
写真は割と「いまこの瞬間」を捉えるのに対し、毛髪は「その方が長年持ち続けているもの」にアクセスしやすい印象があります。
波動は「非共鳴反応」が拾えないと修正することはできません。サンプルが2通りあれば、片方で反応が拾えなくても、もう片方で拾える場合があります。
どちらが上位・優位とかではなく、アクセスする階層が異なるからです。
もちろん、他のオペレーターがやっても同じようになるとは限りません。“私にとって”は、そのように反応するというだけです。
おそらく毛髪は「身体由来の物理物質」であるため、心理的リアリティが強く、写真は「視覚的同一性」による没入リンクがあります、
おそらく違いは、対象そのものよりもオペレーターの脳内で立ち上がる象徴レイヤーの違いと考えるのが、私自身の解釈です。
先ほど「オペレーターの意識」というお話をしましたが、その「意識」というものに、オペレーター自身も、その扉を開けてみないと、そこに何が転がっているのか分からないものです。
その意味で、厳密には「オペレーターの無意識」がどう考えているか。と言い換えるほうが、まだ近いのかもしれません。
余談ですが、コード(レート)に関しても全く同じことがいえます(オペレーターは5桁のコードを使って森羅万象を表現し、これを“言語”として装置と対話します)。
例えば「虚偽」というコードがありますが、この意味が「嘘つきな人」と考えている人にとっては、そのような人物に対して反応しますが、「自己欺瞞(分裂)のある人」と捉えているなら、そのような人物に対して反応します。
そして、その解釈は常に“後から”分かります。「なぜこのタイプの人はこのコードで反応するのだろう」という疑問が先で、後から「なるほどね」となるわけです。
少し話が逸れましたが、そのような理由で、現在でも毛髪はあったほうが良いわけです。
写真と毛髪で事実上のほぼすべてカバーできます。この組み合わせによって捉えられるものは対面リーディングと比べても、まず遜色ありません。
そこに、「かけられる時間」や「タイミング見計らえること」をアドバンテージとして加えたら、写真&毛髪は結果として対面に勝ります。
さらに万全を期したいという方に関しては爪があるとより良いです。爪は特定の部位にフォーカスしたい場合に用います。
ただ、爪に関しては全ての指を区分けしてパッケージしてもらう必要があるので、用意するのが大変です。
先ほども申し上げたように、写真と毛髪でほぼ完結するので、爪に関しては、それでも残り1/100ミリを詰めたい方向けの、念のためくらいのサンプルです。
毎回、用意する必要はあるのか
写真や物理サンプル(毛髪・爪)に関しては、セッションの都度にご用意していただく必要はありません。
最初のご提示で終了であり、以降はメールや電話でいつでも対応が可能となります(セッションが詰まっている場合は、日数をお待ちいただく形になりますが)。
差し替えが必要な場合
ただし、お取り替え要するケースが全くないわけではなく
・写真については、乳幼児の時に撮影した写真が、その写真で本人であるとの視認が困難になった場合。
・毛髪や爪に関しては、大きな手術や輸血を行った際
この2点がある場合に関してのみ、再度ご提示をお願いする場合があります。
写真の撮り方や毛髪の送り方につきましては、別項に詳しく記載していますので、そちらをご参考ください。